ゆる読書会 参加者インタビュー Vol.6 Dさん(前編)
今回は2020年からゆる読書会に参加されているDさんにお話を伺いました。本を好きになったきっかけや、ご自身の言語に関する考え、国連で働くことになったきっかけなど、さまざまにお話しいただきました。
お話を聞いた人 Dさん
富士通を経験した後、カナダへ。偶然が重なって国連に就職。アメリカ、スイス、イギリスで、IT・セキュリティの運用・管理、ITリスク管理などを担当。2016年に帰国。
後編はこちらです。
本を好きになったきっかけは学校の火災?!
—— お久しぶりです。読書の話からお伺いしてもいいですか?
私が子供の時、特に小学校の頃っていうのは、あんまり本読んでないんですね。
学校で年に1回ぐらい、パンフレットが配られてそこから選んで買うっていうのがありました。その頃はそれを年に1冊買うのが唯一の本へのアクセスみたいな感じだったんです。
中学生の時、通っていた校舎が木造だったんですけど、火災にあって。
—— 火災ですか?
そう、そんなことがあったんですよ。
当時、図書委員をやっていたんですね。図書室は火災にあった校舎と別のところにあって、(消火のための)水はかかってたけどダメにはならなかった。そのぬれた本の整理を図書委員がやらないといけなくて。それでわりと長い時間、自由に図書室にアクセスできるっていう権利を持てたんですよ。
それまではカタログとかある程度決められた中で選ばなきゃいけなくて、なんかこう、制約がある中でやってたのに、図書室にある本全部に自由にアクセスできるようになった。だから、本当は借りちゃいけない本をこっそりと借りてきて読んだりして。もちろんぬれた本を処理しなきゃいけなかったりするんだけど、そういう(図書館に置いておけない)やつはもらって帰ってきてもいいし。
読んでた本は大したことないですよ。多分シャーロックホームズのシリーズとか、そんなのを読んでたんだとは思うんですけど、でも、そういう本を自分で勝手に選んで読んでもいいっていう自由な環境がね、私にとっては始まりだったような気がするんですね。
すごい変なきっかけですけどね。
—— 確かに、特殊なきっかけですよね。
それが多分きっかけだと思うんだけど、高校に入ってから仲良くしてた友達が本が好きで。その当時はたくさん買ったりもできない、インターネットで本を読むとか、そういうこともできない時代だったから、本の数が限られていて。
となると、みんなで「私はこの本を買うからあなたはこれ買って」って交換をして。4、5人のサークルみたいな感じのものができて、それぞれ月に1冊ずつ買えば、1カ月で5冊ぐらい読めるっていう。それを高校時代かなりやってて、 それで読む量も増えたかなっていう気はします。
—— なんかそれ、すごいいいですよね。自分じゃない人が選んだ人の本を読むってことですもんね。
そうですそうです、はい。子供だとそんなにたくさん本を買えない、自由にアクセスできないっていう時代だったから、やっぱり交換して読めるっていうのはいい機会だったなと思うんですね。
ただ、その後ずっと読み続けてたかと言ったらそうでもなくて。何が問題かって今考えるとですね、読むスピードが遅かったんです。
日本語を読むのが遅いからこそ、英語でも読める。翻訳本を比較することも。
—— そうなんですか?
今は違うと思うんですけど、その当時、読むスピードが遅かったんですね。でも多分そのおかげで、今は日本語でも英語でもこだわらずに読めるようになりました。
1986年に元主人と海外に出ることになって。今の人たちは海外でも日本語の本を読んでたり、インターネットで読書会をしてますけど、もう全然時代が違うので。本当にイライラするくらい日本語というものがなかったんですよね。
その時に英語の本を読んだりするんですけど、どうせ日本語が遅かったから、英語で遅くても全然問題なかった。
これ、元主人と話したことがあるんですけど、彼は日本語で読むスピードがものすごく早いんですね。だから英語で読むと遅くてイライラして読めない。
でも私は英語でも日本語でもあんまりスピードが変わらなかった。多少は英語の方が長く時間がかかるかもしれないけども、そんなに変わらない。だから英語で読んでもよかったんだろうと思うんですね。
本当にインターネットもないので、amazonでポチっとやれば日本語の本が手に入るなんていう時代じゃないし。ってことは、手元にある本を何度も読むか、英語の本屋さんにいって英語の本を買ってくるかっていう話になるので。
だから「英語で読んでもイライラしない」っていうのは、その後も本を読み続けてた1つの理由だとは思うんですよね。
今はとにかく先に手に入った方を読みます。オリジナル(原書)が英語だったら、なるべくオリジナルで読んでみようとか。比較するために英語と日本語で読んでみることもあります。
—— やっぱり翻訳されたらちょっと違う感じになりますよね。
かなり違います。でも、違うという前提で読みます。例えば村上春樹は日本語自体が英語みたいなんですね。だから翻訳して英語で読んでも全く違和感がないです。
—— そうなんですか?!日本語で読むとクセがあるというか…
日本語にクセがあると思うんだけど、あの発想であんな感じの文章を書かれたら、英語に訳した時に非常に自然に入ってくるものなんですよ。だからそういうのに気づいた時に面白いですよ。
—— だから世界中で売れてるのか…私は正直あんまり好きじゃないんですよね…
ストーリーが好きかって言ったらそれは別な話なんだけども、でも、文章として、その言語に頼ってないっていう部分が大きいんだろうと思います。日本語と英語でしか読み比べてないですけど、多分他の言語に訳したとしても「これは外国だ」っていう距離感を感じずに読めるんだと思います。
—— あー、なるほど。確かにあまり日本っぽくないですよね。
背景は日本だったりするんだけどね。でも、出てくる人の行動とかパターンとか見ると、必ずしも日本じゃないんですよね。だから、他の国の人が読んでも違和感がないんだと思います。
言語に対する違和感を説明してくれた本
—— 印象に残っている本をお伺いしてもいいですか?
このインタビューで聞かれると思って、2冊用意しました。1つ目は、「自閉症は津軽弁を話さない/松本 敏治」です。
実は私、この本を書いた作者にメールを送ってやりとりしたんです。だからそういう意味ですごく記憶に残ってます。
この本では、自閉症って言われてる人たちがなぜ方言をしゃべらないか、をいろいろと研究してる話が書いてあるんですね。
自閉症の人たちにとって方言はニュアンスがあまりにも独特すぎてつかめないらしいんです。
ニュアンスが独特、つまり空気を読まなければならない言葉(=方言)でしゃべられると、何を言ってるかわかんないし、何を言っていいかわかんない。
一方で、標準語はある程度型にはまっている。それを使うことによって、自由ではないけども、少なくとも言葉にできる。
—— なるほど。
これを私に当てはめて考えると、 私にとっては方言に当たるのが日本語で、標準語に当たるのが英語なんですね。
そう置き換えて読み直すと、私のこれまでの言語に対する経験、「日本語がなぜ早く読めないのか」「なんでイライラしちゃうのか」「なぜ外国語である英語の方が、自分の感情をしっくり出せるのか」とかっていうのが、この本の中で説明されてたんです。不思議な感覚でした。
私も空気を読むのが下手なんですね。だから日本語の世界に行くと本当にわかんない時があるんですよ。でも英語はまずその抵抗がない。空気を読まなくていいんです。
そうすると、自分の知ってる限られた言葉だけでいい。「ハッピー」なら「ハッピー」だけでいいんですよね。でも日本語だったら「ハッピー」を表現するために何十通りも選択肢がある。これを全部使い分けろって言われたら、頭が痛くなっちゃうんですよ。
—— 英語にも「ハッピー」と似た意味の違う言葉はたくさんあるんじゃないですか?
あると思います。でも無理に探さなくても、私は外国人だから「ハッピー」でいいやって。
外国人だから「ハッピー」って言葉を1つ使えばそれ以上言わなくてもいいっていうのがあるので、私は安心して「ハッピー」を使える。しゃべれなくて当たり前だから、限られた言葉だけで表現してもいいんだっていう解放感がある。
でも、日本語になった途端に「これは正しい?間違ってる?もしかしたら適切じゃないかも。」っていろんなことを考えながら1つの言葉を選ばなきゃいけない。
—— 「日本語はきちんとしゃべれますよね?」というプレッシャーを感じているということですか?
そう、期待がありすぎってことなんです。私にとってはそれが非常につらかったんですね。
だけど、これを読んだ時に、なんで私が英語が楽と感じるのかが説明されてて。自閉症ではないけども言葉で苦労してる人が、言葉をなぜ使えないのか、なぜ自由に使えないと感じちゃうのかとかっていうのをよく説明してくれてたんですよ。
だから「自分の違和感をこの本が説明してくれた」みたいな喜びがありました。今まで考えてきた言葉に対する、もにょもにょとした闇みたいのを一瞬にして解決してくれた本なんでね。
—— 昔から日本語をうまく使えていない感覚があったんですか?
うん。 なんかいつも1人でいる感じってのはありましたよ。友達がいて、本を交換するとかってのはあるんだけど、それを使ってコミュニケーションをいっぱいしたかと言ったらそうでもない。それを言葉にしようとした瞬間に「ん?」とつっかえるんです。
今でこそこんなにしゃべってますけど、それはある意味英語を使ったおかげでちょっと解放されてるんですね。多分海外に出る前の私だとしたら、こんだけ自由に話してないですよ。きっと。
80年代にIT分野へ。専門はサイバーセキュリティ
—— もう一冊の本についてお伺いしてもいいですか?
もう一冊は「The Art of Deception」という英語の本です。本が出たのは2002年ぐらいで、私が読んだのは2006年ぐらいですかね。
私は80年代からITとかセキュリティ関連の仕事をしているんですが、ITという仕事をもう何十年もやってきていた中で「今までやってきたこと全部間違ってたかも」ぐらいに思わせられた本でした。
今でこそソーシャルエンジニアリング(IT技術を用いずにパスワードなどの重要情報を盗む手法)なんて言葉がありますけど、当時はセキュリティ=テクノロジーだと思ってた部分が非常に強かった。その中でこの本は、セキュリティとは人間の心理学の話だと言ってる。
攻撃者はいかに人を騙すかを考え、いかに騙されないようにするかがセキュリティなんだと。どれだけITの力を使っても、騙される人間がいる限り解決はできないってことが根本に書かれてる。
—— それに関連してお仕事の話を聞きたいんですけど、ITの中でもセキュリティに特化したお仕事をされてたんですか。
もともとはいろいろなことをやっていたんですが、確かに今やっているのはセキュリティに関する話が圧倒的に多いです。 サイバーセキュリティと言われている分野です。
で、 サイバーセキュリティっていうと、ソーシャルエンジニアリングの標的型メールなどの話になりますけど、それに対してこういうツールを入れれば解決できるよっていうのはもう通用しないと私は思ってて。技術も必要ですよ。だけどそれだけに頼っていては一切解決できない。
そのことを10年以上前に読んだこの本の中で知りました。
—— プログラミングはいつからやっているんですか。
大学卒業したあとからずっとやってます。1980年代から。
—— まだみんなパソコンも持ってない時代ですよね。
はい、ない時代です。大型コンピューターにつないでやるような世界です。白黒の画面で。そんなの知らない人が今は多いでしょ。
—— ITの世界に就職したきっかけはあるんですか。
もともと言葉に抵抗があるくらいの人間だったから、人間関係のない世界に逃げてたんですね。 テクノロジーの世界に行けば、あんまり人間と関わらなくて済むだろうっていう、そういう意図はちょっとあったと思います。プログラミングしていれば言葉を使わなくてもいい世界だから。
前編ではDさんが本を好きになったきっかけや、ご自身の言語感覚についてお話しいただきました。後編では海外渡航後に国連で働くことになった経緯など、お仕事のお話をもっと詳しくおうかがいします。
お話の中で出てきた本
自閉症は津軽弁を話さない/松本 敏治
The Art of Deception(日本語版 欺術(ぎじゅつ)―史上最強のハッカーが明かす禁断の技法)
インタビュアー げんだちょふ
子育てと仕事と趣味の「ちょうどいい」を考える転妻。 2019年にゆるさと安心感がウリのオンライン読書会【ゆる読書会】を開始。2020年に娘を出産。2021年からオンラインアシスタントとして開業。