ゆる読書会 参加者インタビュー Vol.6 Dさん(後編)
今回は2020年からゆる読書会に参加されているDさんにお話を伺いました。本を好きになったきっかけや、ご自身の言語に関する考え、国連で働くことになったきっかけなど、さまざまにお話しいただきました。
お話を聞いた人 Dさん
富士通を経験した後、カナダへ。偶然が重なって国連に就職。アメリカ、スイス、イギリスで、IT・セキュリティの運用・管理、ITリスク管理などを担当。2016年に帰国。
前編はこちらです。
国連に入る前の話
—— 最初に就職した会社の在籍中にご結婚されて、海外に行くことになったんですね。当時は英語を話せない状態ですか。
最初にカナダに行った時には英語もほとんどしゃべれなくて。もともと日本語もちゃんとしゃべってない状態で、英語なんてしゃべってる場合かって感じだったんだけど笑。
カナダに最初に行った時、他の友達とも一緒に行ったんです。友達は観光ビザなんですけど、私は住むために行ってるから、違うビザを持ってたんですね。学生ビザでもなくて、ファミリービザみたいなやつだと思うんだけど。
そしたら入国審査の時に「こっちに来い」と言われて。行ったのはいいんだけど、何を聞かれているかほとんどわからない。持っているビザを見せるのが精いっぱいっていう。 それでも一応入国させてくれたけど。
—— その状態で行って、どこで国連に・・・?
はい、そこですよね。なんでそこから国連につながるの、っていう感じだと思うんだけど、 そこはちょっと話が長くて…
国連に入ったきかっけは日本食レストランのニュースレター
—— 国連で働くことになった経緯をお伺いしてもいいですか?
私が住んでいたところはすごく田舎で、もちろん日本食レストランなんてないところでした。でも、車で2時間ぐらいかけてトロントまで行くと、日本食のお店があったんですね。
そのお店が日本語のニュースレターを毎月郵送してくれていたんですよ。今だったらEメールで来るところですが、その当時は紙に印刷したものが届いていました。
ある時そのニュースレターに、国連のJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)の話が載っていたんです。JPOは国連の職員ではなくて、日本政府が若手人材を雇って国連に派遣するっていう制度です。
そのJPOっていうのに応募できますよっていうのが、そのニュースレターに書かれてる。
応募先がニューヨークにあるJapanese Mission to UNっていう、日本の国連に対する領事館みたいなところで。書類を作ってそこに送りました。そうしたら「実は職員の募集もやってるんだけどそっちに切り替えないか」っていう返事がきて。
ただJPOと違って一度日本に帰って試験を受けてもらう必要がある。それでもよければっていう話で。
—— それ、カナダに行ってからどれくらいの話ですか。
1年半ぐらいです。
—— 1年半だと、英語に慣れてはきてるけど、まだそんなに話せないっていうぐらいですよね。
そう。買い物もできるし、友達と話もできるけど、英語でプレゼンするとか、仕事でどうこうというレベルじゃないです。
でも、他にやることもなかったしね。仕事もないし、学校に行くって言ったって、英会話のクラスに行くぐらいの話だし。ダメ元で応募したんです。それがそんな話になって。
それで職員の方に切り替えてもらって、試験を受けるために日本に戻りました。
—— 試験の内容はどんなものなんですか?
ITに関する部分と、国際情勢の部分がありました。そんなの英語で分かるわけないじゃん!って感じでしたけど笑
帰国してから試験まで3日間ぐらいあったんですが、どこにも行かないで、ホテルに缶詰になって勉強してました。日本に帰って日本語に接した途端、英語を全部忘れそうだったんで。それくらいのレベルだったんです。
—— 過去問とかはあるんですか?
ないですよ!今だと予備校があるらしいですけど、当時はインターネットもない時代です。
だから勉強すると言っても何も分からない。国の名前を英語で覚えるとか、その国の産業が何なのかを覚えるとか、そんなことしか勉強しようがなかったです。
—— それで試験を受けて、受かった。
受かっちゃったんですよ。だから、そこが不思議な感じ。今では絶対ありえないと思います。
日本で受けた一次試験も、20〜30人ぐらいは受けてたと思うんですよね。その中で残ったのは2人だけでした。今でも「うそ?!なんで残っちゃったの私?」って思うんですけどね。
英語が話せているのを実感したのはケンカができたとき
受かった後にみんなに「今度ニューヨークの国連に行くよ、引っ越すよ」って報告したんです。その時に「国連で何すんの?」って聞かれて。
そこで困ったんです。私、何すんのか分かんない。
—— 確かに、国連でIT部門は想像がつかないです。難民支援などのイメージが強くて。
そうなんです。どんなシステムがあるのかも分からない、プログラムを書くのかも分からない、何するの?っていう感じで入ったんですよ。
不思議ですよね。
それに、最初のうちは本当に英語が話せてなかったです。
よく例で話すんですけど、とある会議に毎月参加していたんですが、会話の3割も分からなかったです。
今になって振り返ってみると、みんな雑談してたから分からなかったんです。雑談しすぎて、話が飛びまくって、何言ってるかわかんない。
雑談の中でもITに関する部分だったら分かるんですが、それ以外の日常的に起こってるニュースとか、どのテレビ番組が面白いとかっていう話になった途端、何にもわからなかったです。全くついていけなかったですね。
—— うーん、もともと自分が知らない話だったら、厳しいですよね…。
うん。そんなところから始まったんです。
でも、気がついた時には電話に向かってケンカ売ってました笑。もう相手にイライラしてたまらなくって、ケンカをふっかけて。その時に初めて「あ、私、英語しゃべってるんだ」と実感しました。
でも、そこまでたどり着くのに相当な年数がたってます。最初にカナダに行ってからの年数を考えると、4、5年ぐらいたってるかな。
—— 具体的なお仕事の内容って、あまり詳しく言えないですよね…?
普通の会社とそんなに変わらないと思います。例えば、会計システムの管理とか。
プレスリリースを管理するシステムもありました。 インターネットもない時代だから国連では基本的に紙に印刷するんですけど、印刷するためのデータを作ったりとか。
外に出しちゃいけない機密資料もあったりするので、印刷も外部に委託せず、内部のスタッフでやっていました。ニューヨークの国連の地下に印刷工場みたいなものがあったのです。今もまだあるのかなあ?
—— 信頼できる人じゃないと入れなさそうですよね。
そういう試験を受けて入ってきた人、バックグラウンドチェックされた人たちが入ってきてるような感じではあります。
仕事を変えることに不安はない?
—— 国連ではどれくらい長く働いていたんですか?
ニューヨークにいたのが、結局全部で4年間。たまたまですけど、当時の夫が国連の試験を私と同じように受けたんです。それで入れたんですけど、仕事場がニューヨークじゃなくてスイスのジュネーブだったんです。
だから、私も国連の中でトランスファー(転属)する形で、最終的にスイスに行くことになりました。 その後は4年間ぐらいスイスの国連にいました。だから、国連にいたのは合わせてで8年ぐらいです。
—— その後はどうされていたんですか。
いろいろやっていました。HSBCっていう銀行にいたこともあります。銀行に入ってからはかなりセキュリティに特化したような部分を担当していました。
—— 何度も転職されているんですか。
そうですね、何回も変わっています。
—— 今でこそ転職はめずらしくないですが、Dさんの年代だと珍しい気がします。
私の場合だと、次の仕事があるから辞めるっていうわけではなかったです。
例えば最初に日本で勤めた会社を辞めてカナダに行った時の私は、1年半ぐらい仕事がなかったわけだし。国連に入ってニューヨークからジュネーバまでは続いているけれど、国連を辞めた後、銀行に移るまでも間があったかな。
他も、数カ月ぐらいずつ必ず間が空いてたりします。
—— 「今の仕事を辞めたら次がないのでは」というような不安はありませんでしたか?
あ、それは私にもありますよ。「次がないんじゃないか」という心づもりは必ずあります。
それで言うと、私、サイバーセキュリティ関係の資格を5つぐらい持ってるんですよ。なんか、危機感を持つたびに1つずつ資格が増えていって笑。
「もう辞めなきゃいけない」「このまま続けられないかも」と思った瞬間に、試験を受けて、1つ追加しておくんです。私はできますってのを証明するため、みたいに。
本当に使えるかは分かんないんですけどね。次の仕事を考えるきっかけとして、 試験を受けて準備をし始めるというのは確かにありました。
—— お仕事は好きですか?
好きというよりは、嫌いな部分が少ないのかな。脳を使わないでいる状態が嫌いだから。ボーっとしてる期間が1カ月も2カ月も3カ月も続くと思うと、なんかこう、鬱になりそうな気分になってくるんです。
だから、単純作業とかはちょっとやめてほしいって感じなの。
バケーションみたいなので、ぼーっとしてる時間があるのはいいんだけど。
今の仕事も、ずっと考えている仕事です。だから忙しそうには見えない。セキュリティが大丈夫か大丈夫じゃないかっていうのを、ずーっとスクリーンを見ながら考えてるだけなんですね。
—— でも、それを考えるのが大変なんですもんね。
うん。在宅で仕事ができていいねって言われることもあるんだけど、いや、結構、精神的には大変で。こういう仕事を受け入れられる人って少ないかもとは思うんですね。
これからやりたいこと。積読を全部読みたい!
—— 最後にこれからやりたいことってありますか?
あります。まずね、本棚にある読んでない本リストを、死ぬ前に全部読むことですね。
読みたい時と読みたくない時があるし、読みたいジャンルが変わる時もあるから、なかなか難しいんですけど。
でも、新しい本の話を読書会で聞くと、こっちも読んでみたい、あっちも読んでみたいってなるんですよね。
—— 読書会なんて、リストを増やすための会みたいなもんですよね笑
ゆる読書会で紹介された本も、だいぶ読みました。いつもホームページにリストが書いてありますよね。それを見て興味があれば大体読んでます。
—— 本当ですか。
図書館にあればっていうのが条件なんですけど。自分でわざわざ買うことは少なくても、図書館にあれば大体読んでますね。
だから、もういつになっても減らないの笑。この本たちをいかにして0にするかが私の目標かもしれない。
—— なかなか大変かもしれませんね笑。今日は貴重なお話しありがとうございました。
インタビュアー げんだちょふ
子育てと仕事と趣味の「ちょうどいい」を考える転妻。 2019年にゆるさと安心感がウリのオンライン読書会【ゆる読書会】を開始。2020年に娘を出産。2021年からオンラインアシスタントとして開業。